(時事通信)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170703-00000072-jij-pol
http://archive.is/hF1fW
また、蓮舫代表ら党執行部の責任について「少なくとも今の状況が続いていいと判断している人は誰もいない。出処進退を考えるべき人もいると思う」と述べた。
《おまけ》
☆本能寺の変 ~ 織田長益の逃亡と殉死者
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%83%BD%E5%AF%BA%E3%81%AE%E5%A4%89#.E7.B9.94.E7.94.B0.E9.95.B7.E7.9B.8A.E3.81.AE.E9.80.83.E4.BA.A1.E3.81.A8.E6.AE.89.E6.AD.BB.E8.80.85
妙覚寺には、一門衆が多数滞在していた。その中に信長の弟・織田長益(源五、後の有楽斎)もいて、信忠と共に二条御新造に移ったが、斎藤利治(新五)を中心に福富秀勝・菅屋長頼・猪子兵助・団忠正らが火を放ちよく防いでいる間に信忠は自刃した。
長益は無事に安土城を経て岐阜へと逃れた。
『武家事紀』によると、長益も下人に薪を積ませて自決の準備をさせていたが、周囲に敵兵がいないのに気付いて、ここで死ぬのは犬死と思い脱出したと云う。
『三河物語』によれば、長益と山内康豊(一豊の弟)は狭間をくぐって脱出したと云う。
『義残後覚』では、長益が信忠にとにかく早く自害するようにと勧めたとされており、200余の郎党の多くも討死したのに対して、当の長益は自害せずに逃げ出したことを「哀れ」とする。
さらに京童が嘲笑って、「織田の源五は人ではないよ お腹召させておいて われは安土へ逃げるゝ源五 六月二日に大水出て 織田の源なる名を流す」と不名誉を皮肉った落首を載せている。