「国民民主党は(意外と)持ちこたえるのではないか」との見方も



309 名前:無党派さん
投稿日:2019/02/25(月) 16:17:24.14
ID:jl3IPuGZ0.net
戦国大名 玉木氏(1万石。のちに滅亡)


310 名前:無党派さん
投稿日:2019/02/25(月) 16:36:09.93
ID:4f3LA04w0.net
国民はここの住人が考えているより粘るよ


311 名前:無党派さん
投稿日:2019/02/25(月) 16:39:40.39
ID:jl3IPuGZ0.net
まあカネあるからな。


313 名前:無党派さん
投稿日:2019/02/25(月) 16:46:32.84
ID:jl3IPuGZ0.net
テレビにガンガンCM打てば支持率も1パーセントくらいは上昇すると予想。


314 名前:無党派さん
投稿日:2019/02/25(月) 16:49:40.41
ID:jl3IPuGZ0.net
テレビ・ラジオ・新聞にガンガン広告打てば、マスコミの態度も好意的になってくるだろうな。
お得意さまなんだから。



▼元スレ
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/giin/1550780611/


《今にも滅びそうだった戦国大名が結果的に明治維新まで持ちこたえたケース》

☆伊東氏 ~ 日向伊東氏

https://ja.wikipedia.org/wiki/伊東氏#日向伊東氏


その後7代当主伊東尹祐、10代当主伊東義祐の父子には、前述の氏祐以来となるが足利将軍家(将軍足利義尹・足利義晴)より偏諱を受けている。後者の義祐は、兄・祐充や弟・祐吉の死去により家督を相続し、飫肥の島津豊州家と抗争、これを圧倒して、佐土原城を本拠に四十八の支城(伊東四十八城)を国内に擁し、位階は歴代最高位たる従三位に昇るなど最盛期を築き上げた。

しかし、義祐は晩年から、奢侈と中央から取り入れた京風文化に溺れて次第に政務に関心を示さなくなり、元亀3年(1572年)、木崎原の戦いで島津義弘に退けられたことを契機に、伊東氏は衰退し始めた。

天正5年(1577年)、島津氏の反攻に耐えられなくなった義祐は日向を追われて、その後は瀬戸内などを流浪した末に堺にて死去したという。

こうして伊東氏は一時的に没落したが、義祐の三男・伊東祐兵は中央に逃れて羽柴秀吉の家臣となり、天正15年(1587年)の九州平定で先導役を務め上げた功績を認められ、日向に大名として復帰を成し遂げた。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、祐兵は病の身であったため、家臣を代理として東軍に送っている。その功績により所領を安堵され、以後、伊東氏は江戸時代を通じて廃藩置県まで飫肥藩として存続することとなった。

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