【緊急大拡散希望】— 大袈裟太郎 (@oogesatarou) 2017年6月6日
ついに自分の身にも、弾圧の波が襲ってきました。
共謀罪ができる前にすでにこんな状況です。
どこまでも腐ったこの国を可視化します。
緊急通信552「言論弾圧、大袈裟太郎の口座凍結される」 - 大袈裟太郎の大袈裟通信 https://t.co/olWWir00Bb
https://twitter.com/morimori_naha/status/872164050687344640
うわあああああ。露骨な。金は怖い。国家が本気になれば大抵の無理は通る。さすがに大逆事件の幸徳秋水まではないと思いたいが…(大杉栄や小林多喜二もいるけどね)。アメリカだって赤狩りに抵抗したダシール・ハメットを税金の追徴金でほとんど無一文にしてしまった。 https://t.co/wo9kA09POq— 森森森(ゴマメの歯軋り2級) (@morimori_naha) 2017年6月6日
☆ダシール・ハメット ~ 懲役とブラックリスト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88#.E6.87.B2.E5.BD.B9.E3.81.A8.E3.83.96.E3.83.A9.E3.83.83.E3.82.AF.E3.83.AA.E3.82.B9.E3.83.88
1949年11月4日、CRCの保釈基金がアメリカ合衆国連邦政府の転覆を図ったとして共謀罪で捕らえられた11人の保釈に使われたことで、アメリカ中の注目を集める事態となる。
1951年7月2日、弁護側の敗訴が濃厚になると、被告のうち4人が逃亡。裁判所は逃亡者への召喚状をCRCの評議員に送った。1951年7月9日、ハメットは裁判所に出廷して証言した。ハメットに質問したのはタイム誌が「共産主義者を狩りたてるアメリカ一の法律家」と評した検事 Irving Saypol だった。
このとき政府側は保釈基金に寄付した人々が逃亡者をかくまっている可能性があるとして、そのリストを提出することを要求したが、ハメットはそれを拒み続けた。
ハメットはアメリカ合衆国憲法修正第5条を盾に質問に答えることを拒否し、CRCの文書にある彼の署名やイニシャルを識別することさえ断わった。その結果、法廷侮辱罪で訴えられ、有罪の判決が下された。
ハメットはウェストバージニア連邦刑務所で服役し、リリアン・ヘルマンによればトイレ掃除をさせられたという。
1950年代には、上院議員ジョセフ・マッカーシーによる共産主義のアメリカ社会と政治への影響を調査する試みの一環として、議会に調査された。
1953年3月26日、上院の委員会で証言させられたが、委員会への協力を拒んだためブラックリストに載せられることになった。