2019年1月5日土曜日

「みんなの党」がひっそりと復活する

☆政治団体「みんなの党」で統一選候補公募へ 旧党代表の渡辺氏 (産経新聞)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190105-00000546-san-pol

http://archive.fo/2HqBE

旧みんなの党の元代表、渡辺喜美参院議員(66)=無所属=は5日、栃木県大田原市で開かれた後援会の新春の集いで、自身が代表を務める政治団体「みんなの党」として、統一地方選の首長選、議員選の候補者を公募する考えを明らかにした。




《おまけ》

☆足利直冬

https://ja.wikipedia.org/wiki/足利直冬

足利 直冬(あしかが ただふゆ)は、南北朝時代の武将。

室町幕府将軍・足利尊氏の落胤。尊氏に実子として認知されず、尊氏の同母弟・直義の養子となる。

観応の擾乱を機に尊氏と徹底して対立・抗争を繰り広げて南北朝時代を激化させたが、尊氏の死後は勢力が衰え、消息不明となった。

(略)

正平13年/延文3年(1358年)には尊氏が死去するが、南朝勢力も幕府の度重なる攻勢の前に衰微し、正平18年/貞治2年(1363年)には大内弘世、山名時氏らも幕府に降り、直冬党は瓦解する。

それは観応の擾乱より始まった、尊氏派・直義派(直冬派)による室町幕府内紛劇の終幕でもあった。

正平21年/貞治6年(1366年)の書状を最後に直冬の消息は不明となる。

一説には、義詮の死後、跡を継いだ第3代将軍・足利義満と和解し、石見に隠棲する事を義満から認められたとされる。直冬の身柄は吉川氏が保護していたとされている。

直冬は尊氏や義詮より長生きし、義満時代の中盤まで存命したが、その間に彼について記した文書は存在せず、どのような晩年を送っていたのかも不明である。

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