2018年12月12日水曜日

【政局】年内にも「野党再編」が一気に進む可能性も高まってきたようだ

☆国民 玉木代表 旧民進出身議員中心の野党連携 模索の考え
(NHKニュース)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181212/k10011744821000.html

https://web.archive.org/web/20181212115620/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181212/k10011744821000.html

旧民進党の出身者らでつくる衆議院の会派「無所属の会」が、立憲民主党の会派に加わる方針を確認したことをめぐり、国民民主党の玉木代表は、旧民進党出身の議員を中心とする野党連携は安倍政権に対じしていくうえで必要だとしたうえで、みずからも連携を模索していく考えを示しました。

            ↓

532 名前:無党派さん
投稿日:2018/12/12(水) 20:29:05.70
ID:Z8lX6Lzy0.net
橋下に色目を使いながらの「野党連携」は無理だろう。



536 名前:無党派さん
投稿日:2018/12/12(水) 20:40:03.92
ID:ztcDTVUh0.net
いやいや。これは立憲への最後通牒だろう。
「こっちの言うことを聞かないと橋下を民民(注:国民民主党)の共同代表にしておまえたちの票を食うぞ」
という脅しだろうな。



▼元スレ
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/giin/1544373093/




《関ヶ原の戦いで敗北した薩摩島津家が堂々と生き残った経緯》

☆島津義弘 ~ 島津家の存続

https://ja.wikipedia.org/wiki/島津義弘#島津家の存続

薩摩に戻った義弘は、徳川に対する武備を図る姿勢を取って国境を固める一方で徳川との和平交渉にあたった。

ここで義弘は、和平交渉の仲介を関ヶ原で重傷を負わせた井伊直政に依頼した。直政は徳川・島津の講和のために奔走している。また福島正則の尽力もあったとも言われる。

また一方で近衛前久が家康と親しい間柄ということもあり、両者の仲介に当たったといわれる。

慶長5年9月30日(1600年11月5日)、当主出頭要請を拒み軍備を増強し続ける島津家の態度に、怒った家康は九州諸大名に島津討伐軍を号令した。

黒田、加藤、鍋島勢を加えた3万の軍勢を島津討伐に向かわせるが、家康は攻撃を命令できず膠着した状態が続いた。

関ヶ原に主力を送らなかった島津家には1万を越す兵力が健在であり、義弘も健在する。

もしここで長期戦になり苦戦するようなことがあれば家康に不満を持つ外様大名が再び反旗を翻す恐れがあった。

そのため、徳川家は交渉で決着をつけようと島津家に圧力をかけていた最中、薩摩沖で幕府が国家運営で行っていた明との貿易船2隻が襲われ沈められるという事件が起きてしまう。この事件の黒幕は島津家とされており、もし武力で島津家を潰せば旧臣や敗残兵が海賊集団を結成し、貿易による経済的基盤の脅威になるという、いわば徳川家に対する脅しをかけたとされる。

こうした事態から家康は態度を軟化せざるを得ず11月12日(12月17日)、島津討伐軍に撤退を命令した。

そして、慶長7年(1602年)に家康は島津本領安堵を決定する。

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