投稿日:2019/08/10(土) 00:09:59.39
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今、売ってる週刊ポストによると、安倍は11月解散を狙っていて、そうなると自民は316議席で単独3分の2だそうだ。
れいわと、立憲などのその他野党が潰し合う、安倍にとってメシウマな展開が期待できるようだ。
でも、参議院で3分の2を確保するため、安倍は国民民主党との連立もかんがえているようだ。
国民民主党と維新その他と組めば、公明党抜きでも3分の2に届く。
▼元スレ
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/giin/1564985998/
《おまけ》
☆曹操 ~ 反董卓連合軍
https://ja.wikipedia.org/wiki/曹操#反董卓連合軍
初平元年(190年)、袁紹を盟主として反董卓連合軍が成立すると、曹操もまた父・曹嵩の援助を受け、親友である袁紹(曹操自身は袁紹を親友だとは思っていなかったという)のもとに駆けつけた。
しかし、董卓打倒を目指して集結したはずの連合軍であったが、諸侯は自らの利益を重視していたために積極的に攻める者は居らず、逆に恐れを抱き董卓の軍を目前にしながら毎日宴会を催し、やがて諸侯は互いに牽制を始めることになる。
董卓が洛陽を焼き払い長安に遷都したので、曹操は盟主の袁紹に好機だと迫ったが、諸侯の打算により、攻撃命令は下されなかった。
業を煮やした曹操は鮑信や張邈の配下の衛茲とともに董卓を攻撃した。しかし曹操・鮑信・衛茲の軍は董卓配下の徐栄との交戦により壊滅的な打撃を受け、衛茲は戦死した。
その後、曹操は軍の再編をするために揚州などで徴兵し、兵に反乱を起こされたこともあったが鎮圧し、司隸の河内郡に駐屯した。
董卓が長安に撤退し、孫堅が洛陽を制圧すると、反董卓連合軍は解散した。