犯人は現場にいたもう1人・高山顕治記者(当時25歳)には発砲せず、逃走した。
勤務中の記者が襲われて死亡するのは、日本の言論史上初めてであった。
5月6日には、時事通信社と共同通信社の両社に「赤報隊一同」の名で犯行声明が届いた。
1月の朝日新聞東京本社銃撃も明らかにし、「われわれは本気である。すべての朝日社員に死刑を言いわたす」「反日分子には極刑あるのみである」「われわれは最後の一人が死ぬまで処刑活動を続ける」と殺意をむき出しにした犯行声明であっ
『噂の真相』2000年5月号
不祥事続発の神奈川県警が封印した「赤報隊」事件は警察犯行説を追跡!
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